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  • 2021/06/09
  • 2021/06/12
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徳山五兵衛屋敷跡

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明暦の大火後、幕府は本格的な本所の開発に乗り出します。万冶三年(1660)、本所築地奉行に任命された一人が徳山五兵衛(重政)です(もう一人が山崎四郎左衛門)。
堀割の開拓や湿地の埋め立て、道路整備と市街地の造成などで、今の本所の基礎を作り上げました。その功績により、この地に屋敷を賜りました。
五兵衛の死後、屋敷内に祀られていた稲荷と五兵衛の御霊が合祀され、徳山稲荷神社となっています。
また、孫の徳山五兵衛(秀榮)は、火付盗賊改方の在任中、歌舞伎の白波五人男の一人、日本駄衛門のモデルになった盗賊、日本左衛門らを捕えたことで有名です。

江戸の初期に本所・深川の開発事業を推進した本所築地奉行徳山五兵衛重政の屋敷跡です。
開府当寺の江戸は、明暦3年(1657)の大火をはじめ、たびたびの火災で大きな被害を受けたので、幕府は街区の整備を大規模に行うことにしました。ことに隅田川以東の開拓に着手することになり、竪川や横川などを掘り、その泥土で湿地を埋め立て、道路の整備と市街地の造成をしました。この事業のため万冶3年(1660)に徳山五兵衛と山崎四郎左衛門の二人が初代の本所築地奉行として任命されました。
徳山五兵衛は功により、幕府からこのあたりに邸地を与えられました。この稲荷社は屋敷神としてまつられていましたが、五兵衛の死後、その徳を称えた人々により御霊が合祀され、徳之山稲荷神社として大切にされてきました。
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住所
〒130-0011 東京都墨田区石原1丁目36
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