台東区雷門一丁目五番付近
この付近は、江戸時代、紙漉町といい江戸における 最初の紙漉きが行われた場所である。
江戸時代を通じて盛んに製紙業が行われ、その産紙は浅草紙と呼ばれて土地の特産物だった。
延宝四年(一八七六)版の『江戸絵図』には田原町一丁目の西側の道に「カミスキ丁」と記され、貞享四年(一六八七)刊『江戸鹿子』にも「紙すき町」の名が見える。 また、安永二年(一七七三)に成立した『江戸図説』によると、田原町のほかに橋場・鳥越や足立区千住方面でも 生産されていたという。「明治時代になると、浅草紙の製造工場は橋場や南千住の方に移り、浅草付近では作られなくなる。わずかに紙漉きの名残をとどめているのは、以前山谷堀に架かっていた「紙洗橋」の名の交差点表示である。
浅草紙は、不要になった古紙を手で漉き返して再利用する、今でいうリサイクルペーパーである。