• 2021/05/29
  • 2026/10/24
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紙漉町跡

(かみすきちょうあと)

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台東区雷門一丁目五番付近
この付近は、江戸時代、紙漉町といい江戸における 最初の紙漉きが行われた場所である。
江戸時代を通じて盛んに製紙業が行われ、その産紙は浅草紙と呼ばれて土地の特産物だった。
延宝四年(一八七六)版の『江戸絵図』には田原町一丁目の西側の道に「カミスキ丁」と記され、貞享四年(一六八七)刊『江戸鹿子』にも「紙すき町」の名が見える。 また、安永二年(一七七三)に成立した『江戸図説』によると、田原町のほかに橋場・鳥越や足立区千住方面でも 生産されていたという。「明治時代になると、浅草紙の製造工場は橋場や南千住の方に移り、浅草付近では作られなくなる。わずかに紙漉きの名残をとどめているのは、以前山谷堀に架かっていた「紙洗橋」の名の交差点表示である。
浅草紙は、不要になった古紙を手で漉き返して再利用する、今でいうリサイクルペーパーである。

メモ

雷門一丁目、田原町駅近くにあった紙漉きの町を伝える史跡。江戸時代には古紙を漉き直した「浅草紙」がこの付近の特産品となり、17世紀の地図や地誌にも紙漉町の名が記されている。

明治時代には製紙の中心が橋場や南千住方面へ移った。現在の街並みからは分かりにくいが、案内板は、使い終えた紙を再利用する仕事が浅草の暮らしを支えていたことを教えてくれる。

出典:台東区・台東文化探訪アーカイブス「紙漉町跡」

住所

〒111-0034 東京都台東区雷門1丁目5

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