• 2025/03/28
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亀戸大根之碑

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江戸・東京の農業 亀戸大根

このあたりで大根づくりが始まったのは、記録によると文久年間(1861〜64)の頃とされ、当香取神社周辺が栽培の中心地で、以来、明治時代にかけて盛んに栽培されてきました。

当地は荒川水系によってできた肥沃な粘土質土壌であるため、肉質が緻密で白く冴えた肌の大根づくりに大変適していました。

亀戸大根は、根が30cm程度の細い小型大根で、先がクサビ型になっているのが特徴。 明治の頃は「おかめ大根」とか「お多福大根」といわれたが、大正初期になって産地の名をつけて「亀戸大根」と呼ばれるようになりました。しかし、栽培地が広がると共に大型の青首大根に押されて、江戸川沿いや葛西臨海部に移っていってしまいました。 秋から冬にかけて種がまかれ翌年早春に収穫される亀戸大根は、野菜が乏しくなる時期の収穫なので根も葉も共に浅漬けにして美味しいとされ、江戸っ子たちに喜ばれていました。
THE AGRICULTURE OF EDO & TOKYO

Kameido Daikon

Cultivation of Daikon (Japanese radish) in this district dates back to the years 1861–1864. With its center around the area of this shrine, it had been abundantly grown toward 1900s. The fertile clay soil formed by the Arakawa River was just fit for its production.
Sown in fall to winter, the Kameido Daikon was harvested and shipped in early spring when the supply of fresh vegetables became scarce. Root and leaves were all eaten as fresh tasty pickles and relished by all the Edoites.

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住所

〒136-0071 東京都江東区亀戸3丁目57

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