首尾の松
(しゅびのまつ)
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平成十一年三月| 現在の松は七代目といわれている。 観光協会が、地元関係者とともに、この橋際に碑を建設した。 しまった。昭和三十七年十二月、これを惜しんだ浅草南部商工 改名したが、これも関東大震災、第二次大戦の戦災で全焼して れていた「首尾の松」があった。 え継いだ松も明治の末頃枯れてしまい、その後「河畔の若松」に 更に植え継いだ松も安政年間(一八五四十五九)に枯れ、三度植
初代「首尾の松」は、安永年間(一七七二一八〇) 風災に倒れ、 首尾となり、近くにあった松を「首尾の松」と称したという。 のあたりで海苔をとるために「ひび」を水中に立てたが、訛って って「首尾」を求め語ったところからの説。
三、首尾は「ひび」の訛りから転じたとする説。江戸時代、こ 堀から入り込んだものだが、上り下りの舟が、途中この松陰によ たわらにあった松を「首尾の松」と称したという。
二、吉原に遊びに行く通人たちは、隅田川をさかのぼり山谷 見事対岸に渡りつき、家光がこれを貸して勘気を解いたので、か ている中から進み出て、人馬もろとも勇躍して川中に飛び入り 代将軍家光の面前で謹慎中の阿部豊後守忠秋が、列中に伍し
一、寛永年間(一六二四ー四三)に隅田川が氾濫したとき、三
その由来については次のような諸説がある。 番堀のあいだの隅田川岸に、枝が川面にさしかかるように校正 この碑から約百メートル川下に当たる、浅草御蔵の四堀と五
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