一之橋
幕府は低湿地であった本所の開発にあたり、 洪水の被害を最小限に止めるため排水路を基盤 目状に開削し、掘り出した土を陸地の補強、 嵩上げに利用しました。排水路は隅田川に対し 縦・横に開削されました。
万治二年(一六五九)、縦の代表格、竪川の 開削と同時に架けられ、隅田川から入って 一ツ目の橋という意で命名されたのが、この 一之橋で長さ十三間、幅二間半ほどありました。
竪川の両岸には全国から水運でもたらされる 様々な物品を扱う商家や土蔵などが建ち並び、 橋を行き交う人々も多く、大いに賑わいました。 一之橋は、 赤穂浪士が 泉岳寺に引き 揚げる際に 最初に渡った 橋としても 知られています。
尾張屋清七板江戸切絵図