嘉祥二(八四九)年に慈覚大師が 聖徳太子自作の太子像を安置したこ とに始まると伝わる天台宗の古利で す。像を納めた太子堂は「牛島太子 堂」、「中之、太子堂」と呼ばれ、広 く知られていました。寺域は五六。 坪あり、門前町は南と東に二ヵ所開 かれていました。
鬼平犯科帳では、「敵」に南の門 前にある花屋が何度か登場します。その最初の下りに「大滝の五郎蔵は、まっすぐに市中を突き切り、大川(隅 田川)をわたって、本所、中ノ郷元町にある如意輪寺門前の花屋に入っ た。」とあります。後に捕縛され、密 偵となる大滝の五郎蔵の盗人宿ですが、亭主の利兵衛が何者かに殺"されてから話が大きく 転換します。
「江戸名所図会」より