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  • 2021/05/19
  • 2021/05/19
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佐多稲子旧居跡

(さたいねこきゅうきょあと)
文字起こし
小学生の頃から利発な文学少女であったが、1歳の時に、結核で亡くなった母の治療費や父の放蕩などで家計はひっ迫。叔父を頼って、父、祖母とともに長崎から上京、向島小梅町52番地(現在、隅田公園内) の家に身を寄せることになる。牛嶋尋常小学校5年に転入したものの、家計を助けるために、キャラメル工場で働かなければならず、結局、小学校は5年で中退してしまった。その後、料亭、工場、書店などで働きながら、小說や短歌を投稿。 これらの経験が、後に『キャラメル工場から』 という作品にまとめられ、出世作となった。
戦後、すぐに書かれた自叙伝ともいえる『私の東京地図』には、長く暮らした向島周辺のことが書かれている。「私の地図の、江戸案内の版画的風景には、三囲神社も書かれている。いつもひっそりとしていた神社だ。淀んだどぶ池のそばに、閉めたままの障子の白さを見せていたのは其角の家だ、と子ども心にも知っていた」
メモ
すみだ郷土文化資料館前。
住所
〒131-0033 東京都墨田区向島2丁目3−7
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